2014年02月02日
ヌイグルマーZ つくば
いつものように一人で映画を見に行く。
「ヌイグルマーZ」のチケットください。
するといつも店員さんは、
「一枚ですか?」
と聞く。たぶん子供とか一緒に来て、先にお父さんがチケットだけを買いに来ているとも思っているのだろうな。
いいえ違いますとも、いつものように一人です。
映画を見に行く前、家に帰ってきている大学生の娘に「ヌイグルマーZ見に行かない?」と聞いたところ「ケッ」と言って断られているし、妻は、何度も仮面ライダーとか戦隊シリーズの映画を見に行っている私に「いい親父がそんなものを見に行くな!恥ずかしい!!」と言わなくなった。あきらめたのだ。
で、映画を見た感想なんですが・・・・・・いくらB級映画であろうと、予算がなかろうと、もう少し真面目に演技してよ、という感じです。ゴーカイイエローの市道さんが、及第点。中川翔子はまあ地でやっているんだろうなあ、あと仮面ライダー龍騎、少ししか出番はないのだから、もっと真剣にやってほしい。
肝心のストーリーは・・まあB級なのでこんなものでしょう、「ツッコミ」なんて考えていたらこの映画は見られません。
中川翔子の「ヌンチャク演武」に興味がある人にはお勧めの映画です。
さて、次の映画は平成ライダー対昭和ライダーです。確か3月29日からかな。
2014年01月13日
アンジェラ佐藤
女王です。握手には並びませんでした。おっさんに手を触られるのは迷惑でしょうから。



あー美しい。黙っていればもっと美しい。惚れてまうやろ^_^
あー美しい。黙っていればもっと美しい。惚れてまうやろ^_^
2014年01月03日
佐野厄除け大師
佐野厄除け大師に行ってきました。
子供は昨年、本厄だったのですが、受験のことで頭がいっぱいで気が付かなかった。知っていれば天神さんばかりでなく、厄除けのお参りにも行ったのですが。
まあ、いまさら悔やんでも仕方がない。後厄だけでも降りかからないようにお願いした。
この写真は佐野のキャラですね。名前は忘れた。フナッシーだったら大混雑だったでしょう。
でも、こちらも大賑わい。
こちらは一本100円という安さにつられて買った、イモフライ。ソースが味の決め手です。
で、佐野といえばラーメンですが、下調べをしなかったことと、どの店も混雑していて、結局たこ焼きだけを食べて帰ってきたという正月早々の失態でした。
2014年01月01日
初日の出登山 宝篋山
自分のことながらよく続いていると思う、正月恒例の初日の出登山。
毎年、4時前の目覚まし時計に起こされ、「あーもう今年はいいだろー」と思いながら駐車場に向かい、駐車場では「こんなに寒いのに山なんかないんじゃないか」と思いながら、とぼとぼ歩き始める。そのうち歩きなれてきて、他の登山者に、自慢の「T-REX(ライト)」で辺りを照らしまくりながら、頂上に向かう。
頂上では、毎年お坊さん?が何やら念仏を・・・ありがたく聞き、その後恒例の万歳三唱。
私が登りはじめた4年前は、これほど人がいなかったような・・ボランティアの方のおかげですね。甘酒、おいしかったです。ありがとうございます。
今年の祈念は「子供が元気なように」と「家族が幸せなように」「世界平和」それと・・・「一人酒を止められるように」でした。
一人酒禁止は自分の努力だけで達成できます。元旦の本日を除き、明日から一人酒を止めます!!
つもりですw
あとブログもしっかり続ける!!・仕事も全力でやる!!
つもりですがw
今年もよろしくお願いします。
2013年02月05日
ブラックサンダー
受験はまだ続いているので、アルコール抜きの生活は続いている。おかげでいろんなお菓子を食べた。
今一番好きなのが、これブラックサンダー。体操の内村選手が好きだということで人気が出たが、なるほどこれは美味しい。
強い意志がないと止めることができないぞ。危険なお菓子である。
閑話休題
車の走行距離がようやく5万キロになった。乗った期間はなんと12年。一年にたった5千キロも乗っていない。仕方ないよな単身赴任の時は車に乗らなかったし、子供を連れての遠出もほとんどしなくなった。通勤も冬以外は自転車通勤だし。ほとんど車は必要なくなっているなあ。
あーアルコール抜きの乾いた生活だと面白いことが書けない。もう少し、あと2週間の辛抱です。合格発表と同時に生ビールと二郎だねw
2013年01月27日
2013年01月23日
肝臓を鍛える
日馬富士が好調のようだ。本日まで11勝0敗。相撲のことはよくわからないけど、先場所は9勝6敗と横綱としてはもう一つの成績だったので、おそらく死に物ぐるいでけいこをしたのではないだろうか。朝から夜遅くまで稽古で体を痛めつけ鍛えて、ここまで強さをとりもどした。
この体を悲鳴が上げるぐらい、いじめ抜いて強くするというのは相撲に限ったことではなく、マラソンとかの陸上競技でも月に何キロも走り、足や心臓を傷め続けて、鍛えているので同じなんだろう。
これは私にも言えることだ。この血圧計の写真を見てほしい。上が118で下が75。2か月前の健康診断では健康診断ではなんと最高記録の160もの値を記録していたのだ。それがこの値。これは酒を飲んで飲んで、肝臓が悲鳴をあげるぐらいを傷めつけ、鍛えた結果で強くなり、飲まないときの値が下がったのではないだろうか。
というバカなつぶやきをしながら、本日も禁酒中です。今年に入ってから18勝5敗。いいぞ!肝臓w
2013年01月20日
禁酒生活とか
15日に飲み会があり、いつもならそれをきっかけに連続飲酒の始まるのだったが、今回は何とか持ちこたえている。
今年に入ってから15勝5敗。それから連続禁酒5日。

これだけ飲まない日が続くと、体に変化が出ている。まずは甘いものが食べたくてしょうがない。甘いものでも、ケーキとか和菓子が食べたいっていうのではなく、この写真にあるような駄菓子が食べたくてしょうがない。近くのダイソーに行くと、入り口近くの駄菓子のコーナーに必ず寄ってしまう。
それから何か眠くてしょうがない。年よりなんで早起きなんだけど、起きて新聞を読んでいると、またすぐに眠くなってしまう。肝臓の回復のために睡眠が必要なんだろうか。また経過報告しよう。
あと、本日でセンター試験終了。子供を迎えに行ってきました。しかし大学入試はこれからなのだ。早くおいしい酒を飲める日が来るのが待ち遠しい。しかし体のためには、飲める日が来ないほうがよいか??いやそんなことない。肝臓を壊して入院しても、子供が合格してほしい。
今年に入ってから15勝5敗。それから連続禁酒5日。
これだけ飲まない日が続くと、体に変化が出ている。まずは甘いものが食べたくてしょうがない。甘いものでも、ケーキとか和菓子が食べたいっていうのではなく、この写真にあるような駄菓子が食べたくてしょうがない。近くのダイソーに行くと、入り口近くの駄菓子のコーナーに必ず寄ってしまう。
それから何か眠くてしょうがない。年よりなんで早起きなんだけど、起きて新聞を読んでいると、またすぐに眠くなってしまう。肝臓の回復のために睡眠が必要なんだろうか。また経過報告しよう。
あと、本日でセンター試験終了。子供を迎えに行ってきました。しかし大学入試はこれからなのだ。早くおいしい酒を飲める日が来るのが待ち遠しい。しかし体のためには、飲める日が来ないほうがよいか??いやそんなことない。肝臓を壊して入院しても、子供が合格してほしい。
2013年01月13日
飲まないということ
今日もまた、飲んでおらず9勝5敗。我ながらすごいな、と思うけど正常な人なる普通の出来事か。まあブログを始めた目的が、アルコール依存症からの脱出、という人間だからしょうがない。
これで連続の飲まない日が1週間続いており、朝の目覚めとかのよくなっています。しかし何か昼間眠くてしょうがない。昼寝をするほどではなく、眠いのだけど眠れないという感じが続いております。
あと、甘いものがほしくてしょうがない。これはアルコールで摂取していた糖分がなくなったので、お菓子など甘いものをほしがるようになる、とネットに書いてあった。20年以上、毎日酒を体に入れ続けていたのだから、急にそれがなくなり体が飢餓状態になっているのだろうか。このまま続けてどうなるか、まあちょっと実験だね。
でも実験は15日にいったん休止、職場での飲み会がある。依存症の人間は酒をやめていてもいったん酒を飲むとコントロールできなくなるともネットに書いてあります。それも実験で確かめてみよう。飲み会ではビール1本と酒1合だけで終わりにする。いつもの三分の一の量です。これで我慢できるかどうか・・・あ、やっぱり酒は2合にしておくかw
写真のノンアルコールビールはあまり好きな味ではなかった。やはりカロリーゼロのこちらがいいな。
2013年01月06日
天満宮
正月休み最後の日、学問の神様の亀戸天神と湯島天神へ行ってきた。

亀戸天神の神牛です。

実は天満宮は大阪と福岡に転勤していた時にほかの天満宮にも行ったことがある。
これは北野天満宮

防府天満宮

大宰府天満宮

湯島天神は人が多すぎて「撫で牛」を見つけられなかったので出口の写真。湯島は「撫で牛」っていうらしい。

願掛けは一人酒禁止。完全な断酒ではなく、晩酌だけをやめるというのが、いじらしいw
亀戸天神の神牛です。
実は天満宮は大阪と福岡に転勤していた時にほかの天満宮にも行ったことがある。
これは北野天満宮

防府天満宮
大宰府天満宮
湯島天神は人が多すぎて「撫で牛」を見つけられなかったので出口の写真。湯島は「撫で牛」っていうらしい。
願掛けは一人酒禁止。完全な断酒ではなく、晩酌だけをやめるというのが、いじらしいw
2013年01月04日
宝篋山での初日の出
最近の初日の出は宝篋山で迎えている。今年は雲がかかりこんない感じ。
宝篋山の名の由来となった宝篋印塔はこれです。毎年ここで家族と世界の平和を祈っている。あと今年は健康もだ。不摂生しているので、今回の山登りはきつかったなあ。わずか1時間の登りだったのに足が上がらなかった。
頂上からの写真をアップしておく。
富士山は見えなかった。代わりに男体山。
2012年12月06日
富士山を眺める
年末になり、やたらと忙しい。ラーメンを食べに行くどころか、飲み会もまともに出られない。
この写真は、先日行われた飲み会の写真だけど、飲み会の終了する20分前に店に到着し、急いで写真を撮ったためボケてしまったもの。酒も急いで飲んだため、酔うよりおなかが痛くなってしまっただけだった。花Qという店です。
そんな日常の楽しみは、朝、職場から富士山を眺めること。カメラのズームをきかせればなかなかです。
スカイツリーも見えるんですね。
あー休みを取ってラーメンを食べ歩くツアーに出たい。
2012年11月26日
THE NORTH FACE PRE-HAB
今の職場は出張が多い。業務と宿泊の荷物だけならまだいいのだけど、最近はパソコンを持たされるので今のカバンでは窮屈。で鞄を買った、ノースフェイスのリュック、PRE-HAB。
妻はなぜ普通のブリーフケースやボストンバッグなんかを買わないのというが、これでいいのだ。そう出張のふりをして、どこかの山奥に消えてしまうのだ。っていうことではなく、何気なくアウトドアの店に行ったら、昔よく山に登ったことを思い出し、買ってしまった。リュックではあるがきちんとパソコンを入れる専用のスペースもついている。これで出張だけでなく、また山に行こうと思う。
とりあえず明日は東京麺食出張であり、私が評価できる店に行く。
2012年11月03日
北条市 顔見せ縁日
北条市です。早い時間に行ったけど、それなりにお客さんでにぎわっていた。
まだ竜巻被害の修理が終わっていない家もあるが、その復興のためにもみんなに行ってもらいたい。
旧村部で北条地区が一番好きだ。親の田舎が山村部だったせいか。明日の予定がないので、もう一回行ってみるかな。
ところで場所が変わり、こちらは学園中心部。「いなかっぺ大ちゃん」なんて居酒屋ができるらしい。楽しみである。

2012年05月21日
俺も日食
の、写真をアップさせてください。コンデジの写真なので大したことないけど。
それにしても、子供のころ見た少年雑誌の日食の写真はすごくて、この日を楽しみにしていたのだけど、実際見てみると、そんなに感動はなかった。感動が少なくなった。おっさんになったせいだろうな。
いや、しかし、まだ新しいラーメン屋さんに行った時は感動しているぞ。
それにしても、子供のころ見た少年雑誌の日食の写真はすごくて、この日を楽しみにしていたのだけど、実際見てみると、そんなに感動はなかった。感動が少なくなった。おっさんになったせいだろうな。
いや、しかし、まだ新しいラーメン屋さんに行った時は感動しているぞ。

2010年03月24日
ブログ休止します。
4月1日より「つくば」を離れることになりました。つくばの記事を書けなくなりますので、3月31日で、このブログを休止します。
残り1週間であり、引越しの準備に多忙になりますが、できるだけ記録を残したいと思います。
またいつか戻ってきたときには、再開したいと思います。その際はよろしくお願いします。
2010年03月14日
宝篋山へ三度
三度というけど、実際は5回目か?初日の出登山で子供の合格祈願をし、その願いがかなったので、お礼の登山に行ってきました。
NPOの方が作ったのでしょうか。以前はこういう道はなかったような気がします。
そして、ここもいいですね。秘密基地の気分です。
2010年03月10日
卒業式
「夢、そして未来」か。とりあえず親の義務は果たせたか。妻は「毎日の給食をありがとう」と言っていた。4月からは毎日弁当作りになるからだ。
いや、なるためには明日の「合格」を勝ち取らなければいけない。明日は公立高校の合格発表。この写真のように、必ず「福」を引き寄せる。
2010年01月30日
さようならこんにちは
お世話になりました。
そのもっさりした動きもスタイルの良さでカバーしていましたが、

これからは、こいつが必要なのです。生活環境が変わります。さようなら、そしてありがとう。
2010年01月27日
絵を描くということ

高校1年の夏休みの最後のころ、親戚の家に遊びに行った。一週間もいると田舎のことだし、特にすることもなくゴロゴロと過ごしていた。
すると、そのグータラとしている私を見て、親戚のおばさんが言った。「ねー放浪猫くん、ちょっと絵を描いてみない」
いきなりそういうことを言われた私は「えー絵ならお兄ちゃんのほうが上手いよ。僕は絵を描くのは好きじゃないし・・・」と戸惑いながらも言った。確かに兄は美術が得意だった。
おばさんは30代半ばだったろうか。小学5年生の子供がいたことを記憶している。その、おばさんは言った「ううん、そんなことはいいの、あんたの絵がいいの。書いてくれればおこづかいをあげるから」
「おこづかい」という言葉を聞いて、私は描いた。一生懸命に。記憶では親戚の農家の大きな屋敷を描いたと思う。
自分では満足したできであり、おばさんに渡した。するとおばさんは・・・
「あーこれこれ、この絵が欲しかったの、必要だったの。だってうちの子(小学5年生)は何度言っても夏休みの宿題の絵を描かなかったもの。あんたの絵ならちょうどうちの子供が描いた絵だといっても通用するから。あんたのお兄ちゃんの絵だと、大人が書いたとすぐにばれるからねえ」と言った。おこづかいの「千円」を渡しながら言った。
その後、高校一年生が描いた小学5年生の絵が金賞をもらったという話は聞いていない。
setuko様、昔の思い出です。トップの絵は私の子供が小学1年生の頃、書いた絵です。